プロフィール
山を表現するライター&イラストレーター
成瀬洋平
Youhei Naruse
1982年生まれ。幼少の頃から登山に親しみ、山を歩いて見聞きしたことを絵と文章で描くことをライフワークとする。
繊細な水彩画やライターとして文章で山の魅力を伝える成瀬さん。日々の積み重ねによる、これまでと今のお話を伺った。
成瀬さんと山の出会いはいつ頃ですか?
僕は阿木の出身で、今使用しているアトリエから車で二分くらいのところで生まれ育ちました。父も山が好きで、年に一回くらい山に連れて行ってもらっていたのですが、小学校六年生くらいで「自分でも山に行きたいな」と思い、お年玉で登山靴を買ったり、父親が木工をやっていたので、自分でも道具を作ったりしました。その頃、写真家の星野道夫さんがアラスカのことを書かれた子供向けの本を読んだことがあって、その本に星野さんの装備一覧が載っていたんですが、これって登山で使うやつと一緒だなって思って、山に行くことができれば、もっといろんな所に行けるんだと思うきっかけになりましたね。
中学生くらいからクライミングにも興味をもって、高校生になってからはもう少し本格的にやりたいなと練習用の壁を自作して、知り合いに数ヶ月一度岩場にも連れて行ってもらっていました。その頃から星野さんのように自分も山のことなどを表現していく仕事ができたら面白いなと思っていましたね。高校三年生で真剣に進路を考えた時、登山の雑誌を作っている出版社に手紙をかいたんですよね、ライターになるにはどうしたらいいんですかって(笑)その手紙に返信があってフリーのライターという仕事のことを教えてくれて、なんにでも好奇心を向けることは大事だと思いますって書いてくれていて。ライターって名乗ればなれるんだとか色々考えましたね。最終的には山梨の教育系の大学にしました。知っている先生が長期の休みの際に山に行くなどしていたので、そういったライフスタイルも一つの選択肢かもしれないと思って。
先生になることも選択肢の一つとして進学をされたわけですが、どのタイミングで今につながる「絵を描く」ということ出会ったんですか?
絵を描き始めたのは高校生の時です。進学しながら、何か山についての表現をしていきたいと思っていたので、毎日コツコツ描いていたらそれなりに使えるものになるんじゃないかなという漠然とした思いがありました。そう思わせてくれたのはクライミングをしていたことが大きかったです。都会のクライミングジムでトレーニングしていた全国上位の子ばかり出場する大会で高校二年の時に五位に入ったんです。大きな自信になりましたね。だから絵も同じことが言えるんじゃないかと。絵だってニ・三年毎日毎日描いていたら、専門的に勉強しなくても何とかなるんじゃないかと思って。初めて絵でお金を頂いたのはこの頃で、学内の広報誌を作った時に、先生から表紙を描いてほしいといわれました。その先生のポケットマネーだったと思うんですけど3000円くれたんです。学生時代でも、お金をもらう経験は大切だと言ってくださって。それは今でも覚えてますね。
大学を卒業後はどうされたのですか?
絵を描き続けながら、就職は編集部や出版社に入るのがいいかなと思ったんですけど、山をメインとしている出版社は求人がなくて、そんな時に登山の雑誌の求人広告欄に、登山用具メーカーの広告代理店の求人が小さく出てたんです。山系の求人ならとそこに応募して、営業として入社しました。
そのお仕事でいろいろなメーカーさんや写真家さん、出版社の編集さんと出会う機会があり、仕事をしながら絵を描いて、自分の売り込みをしていたんです。そうしているうちに2つの雑誌から連載しないかといっていただいて。会社で働きながらだとやっぱり大変になってくるので、勤めて1年くらいで事情を話してやめました。仕事を辞めるのも自然な流れというか、だめならほかの仕事とバランスとってやっていけばいいし、やらないという選択肢はなかったですね。趣味じゃない方法でやっていきたい、対価をいただく形でやりたいと思っていたので。不安も疑問も思ってなかったです。
そこから今のお仕事の形ができていったんですね。お話を聞いていて、成瀬さんは自然が好きという事とちょっと違う気がするのですが。山の魅力を共有したいという思いからそれを表現する事をお仕事にされているのかなと。
そうですね。風景を伝えたいというと傲慢かもしれないけど、共感に近い想いがあるのかもしれません。夕闇に迫る空や木々のシルエットや田んぼに移る景色とかきれいだなと思う世界を表現したい。その土地の文化や人の営み、農機具小屋とか描くのも好きです。自然との折り合いがあって小屋が作られているのだと思うので。だから、お客様が行ったことのある山の絵を見て、その時を思い出してまた山に行きたくなったと話されるのはうれしいですね。
逆に絵を描いていて難しいと感じる時は、依頼をいただいて自分も納得できる絵が描けない時かもしれないです。お金をもらうというのは責任も発生しますし、依頼してくれた方が満足する物でなければ、自分も納得できない。そういった基準というか責任というか、お金をもらう仕事をするようになって考えるようになりましたね。お金をもらうことはそういう意味で、ただ好きなことをするのではなく、折り合いのつけ方も考えることなのかもしれないです。
今後やっていきたいことはどんなことですか?
三十代はクライミングに重きを置いたので、今後はもう少し絵を描いて、取材や文章を書いていく時間を作りたいですね。
東京から帰ってきて一年くらい徹夜で仕事していた時期があって。あれ?東京にいるころと同じ仕事の仕方をしてるなと気がついたんです。時間をつくりクライミングを再開し始めたら、スキルも上達してきて、インストラクターもできるようになりました。
今は難しいのですが、イタリアにドロミテというクライミングの有名な場所があるので、そこに行って絵で表現したいなという想いはありますね。あとは、絵を展示するスペースを定期的に設けて、田んぼの仕事を終えた人たちが気兼ねしないでふらっと絵を見にこれるような空間をつくるのも面白いし、いいところがあればギャラリー展示も行いたいですね。
なりたい、ではなく、なる、ということ。好きなことをやる。プロとしての思い。気持ちとの折り合い。何より、山の魅力を伝えるために考えたこと。かなえたい夢がある方には成瀬さんの言葉はきっと刺さると思います。穏やかながらも強い思いを聞かせていただきました。