プロフィール
中津川映画祭実行委員
山本 正博
Yamamoto Masahiro
生まれも育ちも中津川で、家の印刷会社で働きながら、映画の魅力に取り込まれていく。平成元年に中津川映画祭実行委員会として活動をはじめ、以降三十年間に渡り、中津川に映画文化を伝え続けた。
映画祭実行委員会として、中津川で活動していたこと、映画の魅力や仲間との思い出などから人の心を動かす取り組みについてお話を伺った。
中津川の映画文化に貢献をされてきたと思うのですが、長年映画を大切にされてきた山本さんの生い立ちについて教えてください。
僕は中津川生まれ中津川育ちで、中学を卒業してそのまま親が経営していた印刷会社に就職しました。当時としては高校に進学しないことは普通だったので、中卒ということがプレッシャーになることはなかったですね。その頃はよく休みの日に映画を見に行ったりしていました。若いときには中津川にも四つ映画館があって、それぞれが一週間ごとにフィルムが変わっていたので週四回映画を観に行ってましたね。映画館に住んでいるような感覚でした (笑)
そういった体験が映画を好きになったきっかけなんですね。
少し違うかもしれません。映画に惹かれたのは明確なきっかけがあるという訳ではないと思います。ですが、公民館や南小の講堂で演劇を見たり、やったりするなかで仲間が増えたりすることは、すごく楽しかったと覚えています。最初からというよりは、そうやって映画や演劇に触れていく中で徐々に映画を好きになって、のめり込んでいったという感じです。映画祭の実行委員をやるにあたっても、文化が大事だからとか、特別張り切った訳ではないです。自分も映画を好きで見たいし、他の人も映画を見たいだろうし、人を誘うと同じような気持ちで仲間になった、という感じでしたね。
今日興味がないものが明日好きになるとかではなくて、一が二や三になっていくという積み重ねや好きの延長で段々と人の輪が大きくなったりして、発展していった結果のような気がします。

時には冗談もいいながら
映画を好きという感情の延長線上に映画祭実行委員会の活動があり、人とのつながりが広がっていったんですね。中津川映画祭実行委員として活動はどのようなことをされたのでしょうか。
中津川映画祭実行委員会は平成元年に立ち上げました。元々仲間づくりとかは得意ではなかったんです。でも映画が好きなことは確かでした。映画というものは不思議なもので、言ってしまえば作り物なのに惹きこまれ、時に感情を動かすんです。映画を作っている監督や役者の演技で心を揺さぶられるということの凄さや素晴らしさを伝えたいと思って、そういう映画を選んでいました。ただの娯楽には収まらず、観て楽しんで、なおかつ自分がどう生きていくかを考えさせられる丁寧に作られた映画を上映していました。そして、映画を上映するだけじゃなくて、上映の前後に監督さんや役者さんをゲストに招いて映画についてお話をしていただきました。費用などの問題もあって簡単ではなかったですけどね(笑)
あと、年に一回パーティを行い監督さんや役者さんと観に来た人が同じ目線でお話できる機会を作りました。そんなことをしていたら「中津川映画祭ってすごいんだね~」って言われたりしましたね。

映画祭を行った会場にて
中津川に来て欲しい方に来てもらうために、東京に何度も何度も足を運び、いろんな人にお会いしました。その中で本木克英監督と意気投合をして、仲良くなっていろんな人を紹介していただきました。三國連太郎さん、佐藤浩市さん、西田敏行さん、草笛光子さんなどを紹介していただいて、中津川に来ていただき、お話をしていただくことが出来ました。三國さんには、後にお宅を訪ねさせていただいてお食事をご一緒させていただきました。今でも家に三國さんの大きな写真が飾ってあります (笑)

会場で当時の話をする様子
あと、神山征二郎監督に監督協会の集まりに連れていってもらった時には、大ファンの吉永小百合さんにもお会いすることが出来ました。中津川にもいらっしゃるという話になったのですが、スケジュールが合わず叶わなかったんです。映画が好きというだけで、中津川でこんな人たちと会えたり話せたり出来るとは本当に考えもしなかったですね。
いろんな人と関わりながら、映画祭を盛り上げてきたんですね。活動の中で人とのつながりや広がりに変化はありましたか。
映画が好きで活動していく中で、少しずつ仲間が増えていきました。なかには大桑から車で一時間くらいかけて来てくれる人もいました。そうやって、だんだんと顔を覚えていって、輪が広がっていきましたね。でもやっぱり遠いと来られる人も限られていたので、逆に大桑とかに出張して映画を上映しに行きました。こういうことは仲間が増えたからこそ出来たことだと思います。

当時の音響機材
映画を中心に仲間を作っていくなかで、仲間と何かをやること自体が楽しくなっていきました。もちろん人が増えると、意見も増えてまとまらなくなったり、感想も違ったりとしてくるのですが、いろんな仲間と映画の内容や地域性が中津川に合うものなどを話すと、共通するものが出てくるんです。そうやって話していく中で一致できるものが広がっていくんですよ。人のつながりをたくさん作っていくということが、すごく大事だと思うようになりました。十年二十年続く組織っていうのはそういうもので、ひとりが引っ張って出来ちゃうような簡単なものではないと思うんですよね。

上映に使ったスクリーン
最近昔の仲間に「また映画をやりたいね」、なんて誘われました (笑) 今はもう昔のようには出来ませんが、運営のための資金など、大変なこともあったけど、仲間と一緒にやれて本当にすごく楽しかったし、面白かったです。
映画愛に溢れるお話でした。映画が好きという延長に、三十年映画祭を共に行える仲間が出来るという素敵なお話をお聞きすることが出来ました。