プロフィール
ODEKO(オデコ)
原 房枝
Fusae Hara
ご主人の地元である中津川に移住し、デジタルを用いて子供の創造力やロジカルな思考力が身につく企画を実施し、子供だけでなくそれに関わる大人たちのつながりやコミュニティの形成も目指している。中津川市本町にて拠点を構え事業を実施している。
未来を感じさせる取り組みを行うODEKO(オデコ)を立ち上げた原さんに、活動をしようと思った経緯や、実際の活動、今後についてお話を伺った。
どういった経緯でデジタルというものと出会ったんですか?
高校の時から映画監督やミュージックビデオの監督に憧れていて、武蔵野美術大学の映像学科に入ったのですが、大学の授業で映像だけじゃないいろいろな表現を見ていく中で、オノヨーコの作品などに触れて興味が移っていって。お客さんとコミュニケーションのない一方通行の映像表現から、お客さんが何かしたら映像が変わるなどの双方向の映像表現を目指すようになったんです。大学の後半はその関係でデジタルアートのゼミに入って王道ではない方の映像の勉強をしていましたね。そのあと東京芸術大学の大学院にデジタルアートを学ぼうとして入ったのですが、すごい人達ばかりすぎて、私の作品は評価すらしてくれなくて。アーティストってこんなストイックな世界なんだ、私はもう少し気楽に生きたいなと思って(笑)それで就職を選んでWeb系の会社に就職しました。
そこから中津川にくることになったのはどうしてですか?
就職して十年間Webデザイナーとして働いていたのですが、その職場で中津川出身の夫と出会って、岐阜に移住することになりました。その頃から岐阜に移り住んだ時の自分の生業を考えていて。今までやっていたWebの仕事をするんだろうなとは思ったんですが、それだけでいいのかな?もっと社会的意義のあることもできないかなと思って。Webだけで生きていくのがつまらなくなり始めていたというか(笑)ちょうどその時小学校でプログラミングが始まると聞いていて、自分の子供がプログラミングを学校で勉強するって考えたときに、私は口を出してしまうだろうなと思って(笑)だったら自分でプログラミングを教えるようなこともしていこうと考えはじめたんです。
でも子供に教えるという事をしてきたわけではないので、それを勉強するためにいろいろ調べて、私の興味のあるアートやプログラミングに取り組んでいるCANVASという団体さんに最初見学に行きましたね。そこから参加もするようになって、ファシリテーションだとかイベントの作り方を学んで。参加したすべての回でドラマが起こるんですけど一番印象深かったのが、障害を持った子供たちにプログラミングを教えた時に、好きな子の名前をLEDで光らせた子がいて、そしたら他の子供たちもそれに続いてみんな好きな子の名前を光らせる、みたいな回があったりして。それが本当に面白くて、やりがいになっていきましたね。最初は岐阜に移住した際の生業として考えていたのに、だんだんと自分が楽しくてやっているようになったというか、自分が関わったことで想像以上のリアクションがある感覚が面白くて。

ドローンワークショップの様子


お話を聞いていて感じたのは、原さんは誰かのリアクションや反応に面白いと感じることが多いような気がしました。双方向というか。コミュニケーションというか。
そうですね。それでいうと私は子供の時から人に贈る誕生日プレゼントを考えるのがすごく好きで、あだ名とか付けるのも好きだったんです(笑)どうしたら目の前の人は喜ぶかなって考えることが好きというか。プログラミングを教えることをし始めて、Webの仕事をしていても見えなかった「相手」がいる感じで、目の前の子供って面白いなって思いますね。


保護者と話している原さん
好きなことを実践している感じがとてもよくわかります。実際にODEKOが動き出したのはいつごろからですか?
本格的に中津川市で活動し始めたのは、二〇一八年の四月からですね。移住する際に夫が運営するコーヒーの焙煎所とカフェやコワーキングスペースなども含めた拠点探しをしていた際に、空き家ツアーで本町を訪れたことがきっかけでいい出会いをいただき、中津川市のモデル事業にしていただいたことで動き始めましたね。
ODEKOという名前は「おとなとこどもをつなぐデジタルエデュケーション」という意味を持っていて、子供の教育はもちろんですが、私自身感じた子供とのデジタルコミュニケーションの楽しみをもっと多くの大人にも体験してもらいたいと思ったことからO(大人)とKO(子供)をDE(デジタル)でつないで「ODEKO」にしました。
一番最初の取り組みはドローンを使ったイベントをしたのですが、幸運にもドローンのメーカーさんをCANVASさんかンのメーカーさんをCANVASさんからご紹介いただき、協力してもらうことで実現しました。初めてだったので雑務の大変さなど苦労はしましたが今までの仕事の経験などが生かされて、何とかできましたね。そのイベントを開催するにあたり仲間集めも行ったことで仲間も増えて、今まであったことのなかった中津川の保護者の方々や子供たちにあえて本当によかったです。その後も中山道祭りでは未来の縁日というテーマでロボットボールを使った迷路攻略の企画なんかも行ったりしています。

ロボットボールのイベント

子供が挑戦している様子
走り始めたODEKOは今後どのように進んでいきますか?
地域の中で何か新しいことに触れる場所として思い出してもらえる存在になりたいと思っていますね。本町にできる予定の拠点では、常時新しいものが体験できるようにしていきたいなと思っていますし、拠点でのイベントも定期的に行っていきたいと考えています。中山道祭りの時に企画したロボットボールを活用したイベントは比較的やりやすいので、今後中津川のいろいろな地域で企画したり、場所を持っている方々に呼んでいただいたりながら、ロボットボールを体験しやすくしていきたいなと思っていて、目標は年間五百人の子供たちに体験してもらえるように頑張っていきたいなと思っています。
自分が子供の時に今のような時代だったらどんなに楽しかっただろうか。そんな風に今の子供たちに嫉妬しながら、これからどんな時代になるのだろうとワクワクする内容だった。