プロフィール
宮司・神主
梅村幸司
Kouji Umemura
1973年生まれ。生まれも育ちも中津川。高校を卒業してから大学に進み神主としての心得を学ぶ。大学卒業後は一般企業に就職し、その後中津川に戻り神主の職に就く。現在は恵那神社や中川神社などの中津川の主な神社にて宮司を務める。
神主という役割を高校を卒業してから進まれている梅村さんにその道に進むまでの経緯や神主・宮司として行っていること、神社という知っているようで知らない話などを聞かせていただいた。
正直、神社や宮司・神主さんというお仕事をよくわかっていないのですが、どういったことをされているのでしょうか?
神社というのは八百万の神様がいて、自然の中で生かされているという自然崇拝です。例えば恵那神社でいえば恵那山の姿形そのものが神様であり、後の世に里にお社が建てられ祭祀が行われております。これは誰かが教えを広めて始めたものではなくて、自然に生まれ語り継いできた道のようなもので、昔からの日本の考え方や文化になります。皆さんいただきますといってご飯を食べるし、大みそかに初詣に行きますよね、あれは自分たちが意識しなくても当たり前になっていますが、自然に感謝するという自然崇拝の文化ですね。なので私たち神主も個々の考え方はありますが、私の場合は文化を継承していく意識で神主をしています。大きなことで言うと、皇室は古来からそうした文化を守ってこられている方々で、皆さん知らないですが毎日祈ることを行事として行っています。例えばお正月に夜が明けるまで寒空の下正座をして祈りをささげた後に、元日の行事をされているんです。


宮司とは神主が神社を任されることで、その神社の宮司になるというものです。神社に雇われているイメージかもしれませんが、実際は神主として管理を任されているという感じですね。神主には五段階の階位があって、これは神主としての資格ですが、その他に神職の身分という経験値のようなものがあり、その両方で神主としてできることが違ったりします。例えば大きな神社の宮司になるのも、そうした資格と経験が両立していないと職に就くことができないです。神社は登録されているだけで約八万社あってコンビニより多いんですが、神主は資格を取っている人で三万人弱しかいないので複数の神社を兼任しているのが現状ですね。

恵那神社のお社
宗教というより文化というお話や、皇室のお話など正直知らないことばかりでした。すこし恥ずかしいです日本人なのに。梅村さんはどうして神主になろうと思ったのですか?
私の場合は家が代々神主だったことがやはり大きいと思います。私もいずれ神主になるだろうなという漠然とした流れから高校を卒業して、猛勉強して東京の國學院大学へ進学しました。この大学は日本でも初期にできた歴史ある大学になるのですが、住み込み実習という面白い仕組みがあって、その場合は夜間の授業になるんです。もちろん昼間の授業を受ける人もいるのですが、住み込み実習の場合は昼間どうしているかというと、実際の神社にて住み込みで働かさせてもらうんです。そうすることで学費を工面できるようになっていて、そのおかげで生活できていました。昔でいう丁稚(でっち)みたいなものですね(笑)私の場合は下町の亀戸天神にて住み込みで働かせてもらっていました。やはり今でも交流がありますね。
大学を卒業してからは少し好きにさせてほしいと思い、神奈川県平塚市の福祉系施設で働いていました。大きな施設の指導職員だったので工場の品質管理や、農業、個人のおむつ替えまで本当に様々な業務をこなしていましたね。やりがいがありましたが、仕事が大変でやっぱり続かない人もいて。利用者さんと入社式で一緒にご飯を食べるんですが、お味噌汁が空を舞っているような昼食の風景を見てその場でやめた同期もいましたね(笑)六年くらいそこで働いた後に父からの手伝ってほしいという話や結婚を機に中津川に戻ってきました。

笑顔の梅村さん
お味噌汁が空を飛ぶというのは想像ができないですね(笑)中津川に戻ってきてからの神主としての働き方はどのようなものだったんですか?
働き方でいうと正直な話、田舎の神主はそれだけで生活していくことが難しいんです。父親は私が子供のころは会社員をしていて、お弁当を持って作業着を着て出社していく姿を見ていたのですが、小学校五年生くらいの時かな、家族会議が開かれて「お父さん明日から本格的に神主をしていく」という話を聞いて戸惑いましたね。祖父の代では小学校の先生をしながら神主をしていたのですが、父の代になって会社員と神主の両方どっちつかずにしてはいけないという想いがあったのだと思います。宮司の働き方って神社ごとに異なっていて、大きな神社だと本当に会社のようにタイムカードを切る働き方もあれば、田舎の方の神社だと会社というよりも個人事業主のような働き方もあって。私の場合はやはり後者になりますね。
田舎では神社の年間行事などを行うことで得られるものもあるのですが、それでは家族を養っていくためには本当に少ないんです。自分の父が神主だけで生活を成り立たせるといった時から行っていたのは、個人のつながりの中で神主としての役目をいただくことで生活の基盤を作っていました。例えば新しい家を建てるときに行う地鎮祭だとか、子供が生まれたのでお宮参りをしてくださいとか。冠婚葬祭などもそういった役目になりますね。

感謝と書かれた扇子
神主として人のつながりを大事にしながら、日本の文化を守り伝えていくという事を常にされているのだなと感じました。
もちろん守り伝えていくという事も大事なのですが、時代に合わせて変えていくこともしていますよ。我々の言葉の中に不易流行(ふえきりゅうこう)という言葉があって、変えちゃいけないものはそのまま残して、時代に合わせるところは変えるという意味なんですが、他にも中今(なかいま)という言葉があって、これは今を大事にするという意味です。そういう言葉が昔から伝わってきているので私たちも時代に合わせた形をとっています。変えながらも大事にする部分を知っているという事が大事で、外国に行って恥ずかしいのは英語ができないことじゃなくて自分の国のことを話せないほうが恥ずかしいと思いますね。例えばお祭りの起源を外国の方に説明できないと恥ずかしいなって。
お祭りは基本的に五穀豊穣を祝うものなので知っていれば説明できるのですが、今は物事の本質を知らないことの方が多いですよね。神社の本質も集落や地域の人があつまる場所だったところなので、そこで何をするかは自由だったと思うし、今もそうであるべきじゃないかと思っています。本質を知りやることをしっかりとしたうえで、あとは自由というような。いまはそうした考えを持った子供たちを育てていきたいと考えていて、仲間を募って行ったのは、一泊二日でお守りを作ったり、お祭りに奉仕したりする「神社で夏休み」という企画をしたり、人が生きることを学ぶために、毎年伊勢神宮で火をおこすところから体験できる企画があるのでそれに子供たちを連れて行ったりしていますね。なので子供を中心に神社を人があつまる場所にして、楽しいという事を大事に本物に触れる機会を、今後もみんなで増やしていけたらいいなと思っています。

大事なのは本質

恵那神社の境内

光射す鳥居
本質を知り、時代に合わせて変えていく。私自身、知らないことは恥ずかしいことだと感じるお話だった。